場面緘黙(緘動)【スタッフ・こげら日記】
2024-01-29
「場面緘黙(緘動かんもく)」
あまり聞きなれない言葉だと思う。
意識して当事者とかかわり続け、18年。
振り返ってみると、ある特定の場面で意思の表出が難しくなる方が
少なくないと気がついた。
家族や信頼できる人とはよく会話(意思の表出)できる方も、
ある特定の場面では沈黙する。固まる。
そんな方が抱えている困り感が、「場面緘黙(緘動)」かもしれない。
レストランに入る前、私との会話では「○○食べる」と話してくれていた方が
レストランに入り注文するときには一切しゃべれない、動けない。
そんな風になってしまっていた。
かかわり始めて経験があまりないうちは、
意思が出てこないとあれやこれやと手を変え品を変え
意思を引き出そうと躍起になっていた自分がいる。
それでうまくいったことはそう多くない。
ある程度経験し、かかわりを多くしすぎてもダメなんだと気づいたころには
待つこともできるようになっていた。
でも、ただ待っていても出てきた意思のほとんどは
その場から離れるというようなものだった。
私としては上手くいかなかった経験だが、分かったこともある。
「なぜ意思を表さないのか?」という問いに対して、
意思を引き出す工夫をしてみたり、表出を待ってみたりしてきた。
ところがだんだんと
「意思が出てこない/出さないのではなくて、出せないのではないか」
と気が付いた。
なぜ、こんなことを振り返って考えたかというと
わたしには今年4歳になった娘がいるが
この「場面緘黙(緘動)」の気がある。
家族の前ではおどけてみせ冗談も言うが、知らない人の前では固まり挨拶もできない。
2歳のころは保育園の先生にも挨拶ができなかった。
あれ?と思ったのは娘が2歳になる前だったと思う。
そのころから無理に話をさせようとせず、娘の代わりに親が挨拶したり行動したりしていた。
できそうな場面では少し待ち本人にやってもらうように心がけ、
できたときにはたくさんほめるようにし自信をつけてもらうことを考えていた。
娘はこの前、隣に住むおばあさんと道端であったときに
自ら「こんにちは」とあいさつが出来た。
これに感動しすこし泣いてしまったほどだ。
普段の当事者とのかかわりの中で、
娘に対するほど気を使いかんがえていたか?と自問した。
この自問の答えは黙するが、「自信をつける」これが大事なんだなーと再確認できた。
自信をつけ自分でできることが増え、楽しみが増えると人生が楽しくなる。
そう思いながらこれからもかかわり続けたい。
(masae)